ブランクを経て復帰したピアノ弾きが
固定観念を破りながらやりたいことと向き合う過程を共有します

【困った】不快を排除したら
平和すぎて感情がなくなりました…

こんにちは、ピアニストブロガーのカワグチです!

スーパー帰りの買い物袋の中に生きたトンボが入っていて震えました。
いつ入ったんだよう。トラウマになるからやめてくれい〜(T_T)

やっと落ち着いた生活ができています

これまで、
お金がなくなって肉体労働で工面した
合わない職場を転々としてきた
騒音でノイローゼになって引っ越したりと

わざとアクシデントを起こしているのではないかというくらい
アクシデント続きで逃げ回って奮闘していたカワグチですが…

とても平和になりました(^O^)

不快・不満がなくなったのと引き換えに
失ったもの

引越し先は快適ですぐに好きになったし
(よく虫が出るから心臓に悪いけどね!)
在宅勤務になったので、時間にも少しゆとりができて
身近に嫌いな人や干渉してくる人もいない。
ついでに、マスクももうほぼしなくてよくなりましたしね。

たまにはわざわざ外に出てみる

のは、よかったよかった(パチパチ)なのですが…

安定しすぎて感情がなくなりました(´・_・`)

不快や不満がないから
モチベーションもなくなった

火事場の馬鹿力タイプというか、自発的に動くのが苦手というか
アクシデントに燃えるタイプらしく
なにもないと、それはそれで何もしなくなってしまうようでして。

いつも何かに対して熱血節を語っていますが
逆に、何もないところで無理やり奮い立たせられるほど
自立した性格ではないようでした(^^;

ま、そういう時もあるだろうし
仕事や住む場所の変化や騒音もあって疲れていたのかなとか
たまには何もしないのもいいよね、と自分を労って過ごしていますが
強烈に突き動かすモチベーションがなくなってしまったのですよ。

ただでさえ何かしていたとしても、優秀な人には敵わないのに
まるで戦線離脱したかのように、毎日がただの消化試合で歳を無駄に重ねてしまわないか
それはそれで焦っています。
(戦ってはいないけどね)

感情の動きがないので
ピアノを弾きたいともなかなか思わず困っていまして。
弾くのがイヤなわけではないのだけど
もともと、荒れた曲や病んだ曲専門ですからねw

元気がないわけではないのだけど
逆に、平和ボケしすぎてしまっているのかもしれませぬ。
悩みがないのが悩み、というやつですね(。・o・。)ノ

時間やお金の余裕は
モチベーションと関係ない

「もしお金と時間があり余っていたらやりたいこと」と
何もない現状でついやってしまうこと、やりたいことって
必ずしも同じじゃないですよね。
(例えば海外バカンスとか)

お金に余裕ができたら…とか、時間があり余った時にやろうとか
そういうものもあるにはあると思うのですが
それってあくまで余暇や贅沢品だと思うのですよね。

本来の自分がやるべきことや備わっている資質って、
逆に、何もない時ほどよく見えてくるものな気がしています。

というのを、過去の記事でも書きましたが

夢を続けていていいの?と迷ったときは。ヒントは底から見えるかもしれないという話

不自由とか不満とか不足感とかって
何かをしようと思う原動力になりうるという意味では
必要悪なのかなって思ったりしていて。

「ない」ことが渇望の原動になっていることもあって
面白いというか皮肉というか、ないものほど欲しくなるのですよね。

お金がない時はあれほど欲しかったブランドバッグやタワマンが
生活が潤ったらどうでもよくなったり、もっと大事なものに気づいたとかも、よく聞きますよね。
(さすがにそんな境地には至っていませんが。
というかバッグは家から出ないカワグチはあまり使わないw)

お金も時間もない時のほうが
自然に頑張れていた

実際、わたしが強烈に動いていた時というのは
出稼ぎの休憩時間に押し入れでパソコンをカタカタしていたり
Wワークでほとんど家にいないくらい忙しかったりと、
時間とお金が全然ないけど無理やりそれらを作って
意地で頑張っていたことの方が多かったし

特設スタンディングデスク

そんな生活も、大変だったけど嫌いではなかったなぁと。
その結果、今東京に来ているわけですが、
むしろ愛おしい思い出であり人生の糧だったりします。
(だから波瀾万丈な記事ばかり生まれたw)

楽しいことは大抵めんどくさい

そんなことを思っていると
楽しいことや、充実感を感じることって
めんどくさいことと表裏一体でもあるのかなと思ったりもしまして。

「楽しい」に不快はセットでついてくる

楽しいことって、企画したり、人を誘ったりする手間暇もいるし
イベントに出向くにしても、道具を用意したり、場所に出向いたりするのが腰が重かったり
新しい場所に顔をだすのは、申し込みが面倒だったり勇気がいるし
コミュニティには仲間の中にイヤな人が一人はいたり、
たとえ一対一でも、時にはイラッとしたりモヤッとすることは絶対にある。

わたしはそういう不快を捨てた代わりに
「楽しい」も一緒に捨ててきちゃったんだなぁと思うと
少し切なかったりもします。

まとめ:
不快・不満は必要悪。
どこまで許せるかを決めておこう

と、今日はただの自分のぼやきになってしまいましたが(いつもか)
自分が決めたことなので、後悔しているとかではないのですが
これから何かを新しく始めたり、新しい場所に行くときは
そういうセットでついてくる不快や面倒はあるという前提で
清濁併せ吞める環境を選んでいけたらいいなぁと思っています。

我慢するわけではなく
許せる部分を許し合う

だからといって、なんでも我慢して消耗するのは違うし
時には自分は許せないという線引きも必要ですから
やめることが一概に悪いとも思わないわけでして。

合わない人や場所との向き合い方と辞め時とは。やめる・捨てる=悪いことじゃないよ!

自分も相手にきっと何かしらを許してもらっていることを思いつつ
どんなことだったっら、どのくらいなら許容できるかというのを
予め自分で把握していると、折り合いをつけやすいのかもしれませんね!

わたしはちょっと景気付けにスタジオ行ってきますわ!(^O^)

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