ブランクを経て復帰したピアノ弾きが
固定観念を破りながらやりたいことと向き合う過程を共有します

適合できる場所がないならもう、好きなことをするしかない。
社会不適合という絶望と希望

こんにちは、ピアノ弾きカワグチです!

わたしは、今年の3月に就職のため上京してきて
半年が経ちますが、
実は、この半年の間に早速…
お仕事を辞めてしまいました(´・_・`)

しかも、1社だけではなく
この短期間で3社もリタイア。

ちょうど↓このあたりの時期が
1社目を辞めて自己嫌悪の底にいた頃でした。

自分が自分を好きになれる場所、嫌いになってしまいそうな場所。

 

こんな自分なんかに期待とコストをかけて採用してくださって
しかも、会社の方々と仲良く楽しく快適に過ごさせていただけた職場もあって
ほんとに申し訳ないし、辞めた立場の自分も悲しいし
頑張りたい気持ちで入ったのに、残念で仕方ない。

なんなら、このブログも一つの自主制作として会社に公開しており
もしかすると見に来てくださっている方がいるかもしれないですし、
軽々しくネタにするつもりも、言い訳するつもりもありません。

社会不適合の人は
どうやって生きたらいいのか

そろそろフリーを卒業して
頑張って東京でキャリアを積もう!と思った矢先。

同じ未来の延長がイヤなら、環境を変えるのみ。未知なる第二楽章やいかに。

思ったよりも早すぎる挫折(の連続)でした。

罪悪感と自己嫌悪とお金がなくなる恐怖で
せっかく東京にいるというのに、お休みも楽しめず
ひたすら根気もないし器も狭い自分を責め続けて途方に暮れる毎日。

辞めるに至った理由はそれぞれですが
(クビではなく期待はしてくださっていた)
自分の器が狭すぎるのかなぁ…と、不快感や過剰な疲労を感じてしまう自分を責め。
慣れない環境に行っては、
前の職場でなんでもう少し頑張れなかったのかな…と、また自分を責め。

これだけ再現性を持って続かないのだから
いい加減、社会不適合なのはよくわかった。

もうこれだけ世間一般に順応できないなら、
逆にそれはそれである意味「人と違う」という強力な個性ですよね。苦笑

適合すべき「社会」が
そもそも息苦しすぎる問題

ですが、(少しずつ常識が変わりつつあるのもわかるけど)
まだまだ今の息苦しくて古臭い慣習に縛られた日本社会自体がおかしくて
そんな社会構造に適応するのがそもそも無理ゲーだし
そこに抑圧して順応したところで、幸せになれるとも思えなかったりします。

普通にならなきゃ生きていけない

なんかうまく言えないけど、
普通にならないと平穏に生きていけないというか、
せっかく「ある」ものを無いものとして抑圧せざるを得ない今の社会って
ほんと勿体ないですよね。

ここ数年に限って見ると、そうでもないのかもしれませんけれど
自分がというよりは、熱意や才能や体力のある若い人たちの芽を抑圧してしまっていると考えると
なんだか悔しくなるのです。

「じゃあ起業すればいい」とかいとも簡単に吹聴して
起業コミュニティ的なものに誘導するインフルエンサーもいますが…
実際は、まだそういう社会に迎合しなきゃ生きていけないのが
悲しいかな、大多数の人の実情ではないでしょうか。

都会でもそれは例外なかった

どこかで、「東京はそうでもない」と期待していたのですが
思いのほかそうでもなかったなというのが正直な感想。
(今回わたしが属している枠が
会社員という生活だからというのも大きいかもしれませんけれどね)

社会や他人が絶対ではない

他人や社会から求められることって
「それをしないと絶対ダメで、それに従えない自分は悪者」みたいな図式になりがちで
わたしもそうなれなかった時に強烈な罪悪感に襲われるのですが…

よく考えるとそんなこともないよね。ということに
大人になってから気が付きつつあります。

社会的な正解だと思っていたものって
あくまで「ある立場」からの視点というだけであって。

例えば、雇用主は従業員に仕事を辞められたら困るから
やめることがいかにリスクがあって、裏切り行為かのように言うかもしれませんが
実はそれって、あくまで雇用者という一人の立場から見た視点にすぎないし
それに従ったところで自分にとって失うことの方が実は多いようであれば
誰になんと言われようと、咎められようと、自分を守るための選択をしていいわけで。
というか、自分のためにそうしなきゃいけないはず。

仕事を辞めるのは
そもそも悪いことではない

もし仮に、力不足や性格的にやむを得ず対応できなかったとして
損失が被ったり、誰かに残念がられたりしたとしても
イコールそれが犯罪な悪や背徳行為ではない、ということを
みんな忘れさせられているんじゃないかなって思うのですよ。

我慢して当然というけれど、
さすがに求めすぎじゃない?

さらに、大きなものに従順になるべきとはいえど
不景気とか少子高齢化とか既得権益だとかの影響で
明らかにそれが不当になりすぎているというか、
求めるものが無意味に高すぎだったり、若者殺しとしか思えなかったり
やりすぎだよね、我慢するにも限度ってものがあるよね。
ってすごく思うのですよね。

たかだか社会を回すために、こんなに苦しむ必要ある?
12年(大卒なら16年)も教育受けてきたはずの人たちって
本当にこんな使われ方しか活躍の場がないの?
何かおかしいよねって。

常識も偉い人の声も疑っていい

だから、そういう一つのサイドの言い分を
「社会のルールだから」と盲目的に従ってしまうのではなくて
もっとフラットに客観的に判断していいし、
もっと、本当に自分のためになる考えを優先していいし
それは(誰かの不利益だったとしても)裏切りでも犯罪でもないし
そうしないともはや生きていけないよね。っていう話です。

なので、就職できないとか、仕事が続かないとか
タスクをこなしきれない自分は無能だとか
過度に自分を責めたり心を痛める必要って
本当はないんじゃないかな。って思うのですよ。

仕事を果たしていたなら
それでよし

悪気があってしていることではないし
在職期間には会社を第一優先にして時間や労力を使い
きちんと働いていたのは事実。

であればむしろ、求められる相応の貢献をしていたはずですから
本来は後ろめたさを感じる必要って、ないと思うのですよね。
(一生懸命責務を果たしていることが前提で
サボりとか横領的なやつは別でね)

関係維持の努力はお互いに必要

わたしが辞める際も
「今までありがとう」と言ってくれたところと
いかに会社が迷惑を被ったかを咎めてくるところがありました。

もちろん、申し訳ない気持ちはありますが
確かにあったはずの働きや貢献を見ず
職を失ってまで辞めたいと思うに至った落ち度を棚に上げて
辞めたという結果だけを一方的に責めるというのは
ちょっとどうなんだろうと思わざるを得なかったりするのですよ。

ありがとうと言って見送ってくださった会社さんには
ぜひとも5年後、10年後に大きく成長していて欲しいものです…!

批判や苦言を言われないことが
正解とは限らない

こんな感じで毎回、生計を失うリスクを覚悟して
実際に、社長直々に咎められることもあり、心が痛んだりもしました。

元々、人に逆らわない真面目なガリ勉だったので
人の指示や期待に背くって、強烈な罪悪感もありますし
事実、会社にとって喜ばしいことではない以上、言われて当然だとも思っています。

だけど、黙って人の期待に応え続けて
それで得られた生活が幸せだと思えなかった。
ましてや、どこまでも許すほど相手は調子に乗り
もっと要望が上がって理不尽なことを求められるようになるのも経験上知っている。

幸せじゃないなら
場所を変えるしかない

それなら、責められる痛みよりも
理不尽な要求やらルールやらを飲み込んで耐え続けることのほうが
自分にとって、得るものより「損失」が大きい気がしてならず
その都度場所を変えています。

だから、申し訳ないけど自分にとっての最善を優先させてもらう。
だから、他人からは何を言われても仕方ないし、辛辣な言葉を浴びる覚悟はしている。
だけど、それは悪でも裏切り行為でもない。

いつまでも保身でその状況を飲み込んでいるだけでは
いずれもっと辛い状況となり返ってきて自分たちの船を沈めるだけ。
だから、従順なだけでなく、そういうネガティブな意思表示をしていかないといけないし
時に「許さない強さ」も必要なのかなと思っています。

言葉にするとシンプルですが
これまで従順に生きてきた人にとっては
これがなかなかできないくてキツいのですよねぇ。

と、正当化しているかのようなことを長く炸裂しすぎましたが
そんな感じです(^^)/
(締めかたが雑w)

そんなに偉そうに言うなら、
自分で働きやすい会社作って実証すればいいじゃん!と突っ込まれそうですな。
わたしも「働きやすさを重視します!」という会社を作って
いわゆる社会不適合とはじき出されてしまった人たちを雇用したいものですが
なにせ売るものがない/(^o^)\

適合できないから
好きなことをやるしかない

ですが、あながち冗談でもなくて
もうこれだけ再現性をもって適合できないなら
適合できる世界を作るしかないのかもしれない。

結局、絶望するたびに
行きつく先は好きなピアノしかないのかなと思うと
それってある意味幸せなことなのかもしれない。

なんかこう、心のどこかで
ゆくゆくはピアノに向くように、無意識的に仕向けているのでしょうかね。

婚活をこじらせてアルバイトを始めたら
最高だった話↓

きっかけは不純。どん底暗黒期に夢を見せてくれた場所はアルバイトでした

大事にすべきことを
忘れてしまっていた

時間労働で生計を立てながら
ブログ発信やピアノをしていましたが
「これってただのお金のかかる趣味じゃない?」と自信がなくなってきてしまい
いい加減けじめをつけて就職しようと決意し、上京した3月。

結局、ピアノのために仕事を合わせる生活に落ち着いていたところを
わたしはこの当時↓の意志を裏切ってしまっていたのかもしれない。

【続:音楽家の永遠の悩み②】アマチュア演奏家が、仕事より音楽活動を優先する理由。

 

当時の記事を読み返して、
日常に忙殺されてそんな思いを忘れてしまっていたんだな…と
反省して切なくなったのでした。

ピアノもあまり弾けていなかった

ピアノも、東京には良いスタジオさんはあるし
上京してすぐはライブバーに行ったりしていたけれど
実を言うと、最近あまり弾きたい気持ちになれていなかったのですよ。
弾きたくないのでは決してないけど、別にいっか、って。

歳を重ねて正解が変わってゆくのはべつに良いと思いますが
それがもし、仕事に脳のキャパを取られてモチベーションが薄れてしまったのであれば
とても勿体ないこと。
(仕事を悪者にしているというより、自分が優先すべきものをミスったという話です)

物理的な時間もそうだけど、エネルギーも有限ですからね。
というのを過去記事に改めて教えられる形になって、情けなくなります(´・_・`)

まとめ:無理せず
自分の本心に立ち返ります~

ということで、
本当に大事なこと、どうしていきたいのかを
自分と向き合って改めて考え直しますっ。

芸は身を助ける、じゃないけど
何もなくなりそうになった時に、少しでもできることがあることを思い出せるだけで
ちょっと救われた気持ちになります。

ま、自分が決めたことですから、何とかします(^O^)
気を取り直して、新たに計画を練り直しますよう~

できることが少ないのは
案外幸運なのかもしれない

こんな感じで、ドロップアウトや挫折を繰り返して
つらい思いや理不尽に思ってきたこともたくさんあるので
同じような思いを抱えている人の役に立てることをできないかなと、日々考えています。
せっかくなら得意な芸術を使ってね。

どこにも適合できなかったから、もう
好きなことをするしかなかった。

好きなことをやるしか選択肢が残されていないなら
社会不適合というのは案外、絶望的なようで
ある意味では希望なのかもしれないですよね。

ちなみに、落ち込んで途方に暮れてはいるものの、
梨に歓喜できるほどには元気です(^O^)

ブログの更新もピアノの演奏も、もちろん続けます。
気が向いた時にだけやるスタイルは変わっていませんので
更新されたら「あ、気を取り直したんだなw」と思って見守ってやってください(^^)/

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