こんにちは、ピアニストブロガーのカワグチです!
東京はちらほら梅とか桜(早咲きの品種なのかしら)が咲いていて
冬の短さに呆気にとられています。
数ヶ月後にはまた蒸し蒸し地獄がやって来るのかぁ…
それはそれで恐怖。
夢を続けていいのか迷う瞬間
ということで、世間は年度の変わり目で
出会いと別れ、転機を迎える方もいらっしゃることでしょう(^^)
好きな趣味、なりたい職業、やりたいこと
進みたい進路、人生の選択など
見直したり振り返ったりする方も多いのではないかな、と思いますが
何か大切なものや頑張りたいことに情熱や時間を注いでいるときって
この道で合っているのか?
これをやり続けていて、本当にいいのか?
って、ふと悩むことってあるのではないでしょうか。
中には、夢や、やりたかったはずのことに
がんじがらめに苦しんでしまっている人もいるかもしれません。
好きなことでも
続けるべきか迷うことはある
そういうわたしも、実は
このままピアノを続けることで、何になるんだろう?
ただのお金のかかる趣味なら、やめちゃってもいいんじゃいか…
と思ってしまうことはたまにあります。
やりたいことでもイヤな瞬間はある
自分よりずっと上手な人や、実績があって既に活躍している人を目の当たりにしては
自分要らないじゃん、と落ち込んだり
無名のアマチュアとはいえ、自分のことをネットに晒しているので
言いたい放題されたり、ピアニスト(笑)みたいに扱われて
「そうじゃないのにっ!」と憤ることもあり
こんな思いしてまで、やっている意味ってなんなんだろう。
▶つづける
▷やめる
という二択が頭をよぎることはあったりしますw
(その結果、毎回Continueしているのですけれどね)
今日はそんな時、どうやって向き合っているか
どうしてContinueしているかを記事にしてみます。
誰に期待されなくても
ピアノを弾きたい理由
好きなこととか、やりたいこととか、夢って
なにか見返りがあるからやるとか
儲かりそうだからやるとか
他の誰かが喜んでくれるからやるとか
(例えば親孝行とかモテるとか)
そういうのではないのですよね。
むしろ、出ていく出費も多いし、
練習は一人きりで地味だし
お嬢様っぽいとか決めつけられて引かれるし
見返りを求めるのであれば、マイナス要素ばっかりw
自分が好きな自分でいよう
それでもわたしがピアノを続けてきているのは
ピアノを弾いている自分が好きだからです。
落ち込んだ時や、何もしたくない時でも
重い腰を上げてピアノを弾くと、自分が弾いている曲が身に沁みてきて
ピアノと一体になって生かされているような感じがして
あぁ、ピアノが弾けてよかったと思えてくるのですよね。
弾いている自分自身が一番癒されているのかもしれない。
何かしらのプロ・オタクであることを自分で誇る
と書いていると、痛い人みたいですが
きっと誰しも、自分のことを好きになれる瞬間とか
出来栄えとか生産性とか役に立つかは二の次にしても、
これが自分だ!というアイデンティティって何かしらあるんじゃないかなと。
なにも、他人から褒められることでも、誇れるものでもなくて良いと思うんです。
女性だったら、メイクしたら自分に自信が持てる人もいるでしょうし
カワグチの知人では、個性的な標識のイラストをコレクションして本にしたマニアックな方もいますし
例えば内気な人でも、オタク友達といる時は生き生きしている人もいますよね。
そういう、「自分が生き生きできる場面」の時間や割合を、ちょっとずつ増やして拡げていくことが
自分への思いやりなのかなと思っています。
そしてそういう、個性のある人が好きです。
だからわたしも、ピアノ弾きの自分を諦めたくないというか
この自分さえ見放してしまったら、自分じゃなくなってしまいそうな
そんな気がして弾き続けているのでした。
夢や資質はどん底の時にこそわかる
夢とか自分らしさとかって
調子のいい時に大活躍できるフィールドともちょっと違うような気がしていて、
むしろ、
全てを失って乾いた地の底に堕ちている、その時に唯一残ってくれたもの
やる気も気力もなくなってしまったとき、唯一ふと恋しくなったもの
そんなものが、その人のアイデンティティだったり
ライフワークなのではないかなと、漠然と信じています。
余った時間やお金でやるものではない
お金に余裕ができたら…とか、時間があり余った時にやろうとか
そういうものもあるにはあると思うのですが
それってあくまで余暇や贅沢品だと思うのですよね。
本来の自分がやるべきことや備わっている資質って、
逆に、何もない時ほどよく見えてくるものな気がしています。
わたしも職を転々としていたときに音楽の世界に戻るきっかけがあったし
力んでやろうとしている時よりも、フラフラ~っと鍵盤に触った時の方が
上手くいっている気がするのですよね。
(それはそれで、努力に比例しないという意味では皮肉な気もしますが)
断捨離みたいなものかしらね。
捨てまくったら、大事なものだけが残る、みたいな。
だから、今何もかも捨ててしまいそうな境遇の人がいたとしたら
そういう時ほど、本当に大事なものを見つけるチャンスで
手のひらにひとかけら残ったものを大事にしてほしいなと思うのですよ。
基準が底だから無理をしなくて良くなる
そして、どん底基準で考えると
ないものを補って補って無理して、ではなく
今あるもので勝負するという視点になれるので
無理をしすぎることも少なくなります。
わたしも人が苦手なので、お仕事を探す際はテレワークができることを条件にしていますが
そういう、自分が無理をしないでもできる環境を整える努力や工夫はおすすめです。
迷ったときは外の風を入れよう
気持ちが折れそうになったとき
自信がなくなったとき、
何か新しい発想で気分を打開したい時は
自分の中だけで答えが見つからない、
昨日と同じことでグルグル悩んでしまう…というときは
本を読むのもおすすめですよ!
気を逸らすというだけでも、何か新しい発想が出てくるかもしれません。
まとめ:
何もかも失った時こそ
自分と向き合う価値がある
ということで、
- ピアノを続けているのは、弾いている自分が好きだから
- どん底のときにあるものが夢やアイデンティティ
というお話をさせていただきました!
自分が好きな自分でいられたら
自分自身にも応援してもらえているような、
見えない後ろ盾があるような安心感や自信も自然と出てくるものです。
夢って、自分を裏切るものでも蹴落とすものでも手の届かないものでもなくて
もっと身近にいてくれて、寄り添ってくれている優しい存在なのかもしれません。
困ったときに手を差し伸べてくれたり、
鎧を外して素直になったときに、ひょこり顔を出してくれて向き合える、
そんな、親友みたいなもののような気がしています。