ブランクを経て復帰したピアノ弾きが
固定観念を破りながらやりたいことと向き合う過程を共有します

ピアノ弾きがピアニストを名乗るための壁と
「鍵盤役者」という比喩

こんにちは、
アマチュアピアノ弾きのカワグチです!

お気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが…
わたしは「ピアニスト」と自称することはあまりしません。

「ピアノを弾く人」なので
ピアニストといわれれば、そうなのですけれどね。

ピアノ弾きが
ピアニストを名乗らない理由

というのも、
音大を出たわけでもない、コンクールで入賞したわけでもない
コンサートを開いてお金をいただいているわけでもない
ただの自称演奏家がピアニストを名乗るのは、
素人がプロフェッショナル気取りしているようで
なんとなく気が引けてしまうのですよ。

プロに対する敬意を込めて
違いを明確化

そんなアマチュアが、ピアニストを声高に自称してしまうのは
鍛錬されてこられて、実績とプライドを持って活動されている
本当のプロのピアニストさんの土俵を汚すようで失礼だよなぁと思うし
そこに自分が肩を並べようとするにも、ちょっと毛色が違うのかなとも感じています。

という、自主的な自粛であって(「頭痛が痛い」みたい笑)
ピアニストには憧れているので
もちろん、ピアニストと呼ばれるのがイヤなわけでは全然ないし
人からピアニストと呼んでいただけるのは、すごく嬉しいのですけれどね!

ピアニスト未満のアマチュアは
なんて名乗れば良いのか

しかし、じゃあ自分は何なんだと問われると
なんて名乗ったらいいのか、なんかしっくりこなかったのですよ。

とはいえ、けっこう頑張っているので
「趣味でピアノ弾いてます(^^)」に留めてしまうのは、なんかちょっと寂しいし。
(そして、へぇ。と流されて終わる。泣)

【会話が拡がらない】「趣味ピアノ」はウケが悪いという悩み。結論:自分が楽しければよし◎

聴き手よりは弾き手でいたい

しばらくは愛好家を名乗っていたのですが
かといって、愛好家というと、どちらかというと
弾くより「聴くのが趣味」の収集家的な要素が強いのかなぁと思って
それもちょっと違うのかなぁと思うようになりました。

料理人と美食家が違うような、
ファッションクリエイターとおしゃれな人が違うようなね。

たまにはもちろん聴きますが、
わたしはクラシックや音楽業界にそれほど詳しいわけじゃないし
聴き手というよりは、やっぱり弾き手でいたいなぁと思うのですよね。

ピアノを極めたいとか、音楽を知り尽くしたいかというと
微妙にそうでもないんですよ。

プロピアニストを目指したいのとも
ちょっと違う

演奏技術の精巧さや理解の深さでは、
もっと上手な人に太刀打ちできない自覚はあるし
むしろそういうのは、それこそプロのピアニストさんにお任せしたい。

音大に行きたいとか、海外に留学したいとか
高名な先生に弟子入りしたいとも思いません。

わたしは物心ついて間もない頃から自分をよく知ってうまく扱ってくださる
故郷の先生が一番好きですし。

演奏には本性と性格が出る。ピアノの先生は全てお見通しだった!

ピアノはもちろん大好きだけど、
「ピアノを弾く」というのはあくまで表現するための手段だなとも思っていて
そういう意味では、たまたまそのツールとしてぴったりだったのがピアノだったのかなぁと思ったりもします。

二次元の原作を
三次元の人間が体現する面白さ

曲に込められた世界観を、自分の解釈で表現する。

と考えると
それは、音楽の演奏というよりは、女優さんや俳優さんのような
演劇に近いものすら感じます。

いうならば、「鍵盤役者」みたいな感じなのかな、と。

楽譜を音にするピアノ演奏は
小説のドラマ化に似ている

わたしはドラマや映画はあまり見ないので詳しくないですが
役者さんも、ドラマや映画の俳優さんから
劇団員さん、歌舞伎役者さんなど色々でしょうが

脚本や小説や漫画などの原作を、生身の人間で体現すると
演じる役者さんによって違う味が出るという、二重の面白みがありますよね。

原作とは違う魅力が出たり、
「そういう解釈があったか!」と新しい発見ができたり、
原作とイメージが違ってショックを受けたり。

楽譜は脚本

この記事↓で、「演奏を通したドラマ」と比喩したように
二次元の原作に、三次元の人間が息を吹き込む面白さは
ピアノも似ているんじゃないかなと思うんです。

【ピアニストはAI化する?】正しいだけの演奏には超えられない、人がピアノを弾く意味を考えてみた。

クラシックピアノという、過去の楽曲を
ピアニストという人間が体現する、と考えると
楽譜も脚本みたいなものなのかもしれないなぁと。

「あの人が演じたらこうなるか…!」みたいのが、ピアノにも確実にありますよね。
「この人が弾くソナタは、こうなるか…!」みたいな(^^)/

起承転結のある曲も多いですし
頭の中でストーリーを作って、起伏を魅せる楽しさがあったりもします。

体験していないものは
表現できない

昔、たしか雑談好きの国語の先生が言っていた話で
「正義の味方の主役より、悪役を演じるほうがずっと難しい」と聞いたことがありまして。

それと同じように、
曲に込められた絶望や怒りやロマンスや悲しみは
それを体験した人間だからこそ、奥行きのある表現ができるようにも思います。

腕力や技術や、楽譜通りに忠実に弾けるテクニックがあったとしても
「うまいピアノ」「きれいなピアノ」にはなると思いますが
それだけだと、どこかつまらない、お高くとまった演奏になってしまうんじゃないかなぁと。

まぁこれは、技術不足のガサツな演奏家の
ただの負け惜しみかもしれませんけれどね…/(^o^)\

結論:
肩書きはなんでもいいや

ということで、肩書きの話から脱線しましたが
結論は、肩書きにはこだわっていないし
無理やり奇抜な肩書きをつける必要性も感じないので
あまり深くは考えていませぬ。
(この記事を書いた意味w)

人に自分の活動を伝える際に
何と言うかいつも迷うので、考えて記事にしてみました!

ジャズようかん

とりあえず弾いてみる

でも、今はピアニストと名乗ることに気が引けているからこそ
いつかはピアニストだと自信を持って自称できるようになりたいものです(^^)

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