こんにちは、カワグチです!
寒くなりましたねぇ。
北国に住んでいた頃は
冬だけ東京とか暖かい場所に移住したいと思っていましたが
意外と、室内は暖房設備の整った北海道のほうが暖かいみたいです。(残念っ)
冬になると毎日のように着ているのが
「着る毛布」。
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10年近く愛用していたのですが
引越しで行方不明になってしまったので、久しぶりに新調してみましたっ。
(似合わないパステルカラーしか残ってなかったので顔色の悪さが際立つ!)
これ、モコモコで肌触りもよいし、ほんとに暖かいので
色んな人におすすめしているのです~
両親にもあげたら足先までポカポカだと喜んでくれた(^O^)
暖房代を考えると安いと思っています。
着ないときはブランケット的にも使えるし
暖房節約のために家の中で重たいコート着てる人はぜひ買うべし。
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価格:3,990円 |
色んなメーカーから出ているけれど
個人的には「グルー二―」が肉厚でおすすめですよ!
趣味を通じて他人に癒された
と、着る毛布の宣伝しゃなくてっ。
先日、泣きたくなるようなことがあった帰りに
たまたまストピの近くを通りかかり
「うおおぉっ!!今日みたいな日こそ激情系の曲を弾きたいっ!」
という気持ちが、恥ずかしいとか、並ぶのめんどくさいとか、
練習してないし…という気持ちを超越して燃え上がってきたので(笑)
ストピの列に並んでみることに。
前の人が順番を譲ってくれた!
センチメンタルな時って、ピアノの曲が沁みますよねぇ…
前の演奏者さんのきれいな曲をしんみりしながら聴いていると、
前に並んでいた方が順番を譲ってくれて
「どっちでも大丈夫です(^^)」と言いつつ、先に弾かせていただきました。
(ありがとうございます!)
それだけなのですが
泣きたくなっていたことが恥ずかしくなるくらい
なんだかほっこりした気持ちになったのでした。
音楽という趣味でゆるくつながる
こういうの、なんかいいですよね。
ただ自分が弾きたいためだけに来たのに
ピアノ弾きとしてそこに存在を歓迎してもらえたような温かさや
好きなことで存在を認めてもらえるって、うれしいですよね。
他人だけど微妙につながれる場所
かと言って、演奏を褒められるとか、競うとか、
あれこれ干渉されるでもなく
絡みを強制される距離感でもなく(←これは場合によってはキツかったりもしますよね)
サラッとそこに居る人たちと、ピアノという接点でゆるく認知し合う。
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知らない他人だけど、微妙に気にかけ合う。
この絶妙な温度感が、けっこう好きだったりします。
ストピの程よい距離感が
サードプレイスになりうる
知らない人だけど、その分義理も義務もなくて
仕事でも家族でもない、日常とは別のほっとできる場所がある。
なんとなく「そこにいてもいい」みたいな、迎え入れられている感がある。
弾いても聞いても帰ってもいい自由さ
聴きたければ立ち止まればいいし
素通りするふりして耳をすませていてもいい。
聴きたくなくなったらふらっと帰ってもいい。
弾き終わったらまた順番待ちの列に並び直して、弾きまくる人もいる。
そういう意味でも、
ストリートピアノって絶妙な空間なのかもしれないなぁと、ふと思ったのでした。
ストピといってもその場所にもよりますが
(自由に弾いていいって書いてる割に弾きにくいっ…という場所もありますよねw)
そういう場づくりを狙って意図的に設計されているのか
そこに人が集まってたまたまそうなったのかわかりませんが
ほどよい場ができていたら、そこは立派なサードプレイス的な空間だよなぁと。
というか、偶然にしても計算にしても
どちらにしてもすごいですよね。
承認がないからこそ
自分の意志が問われる
もちろん、うまいとか感動したとか、
褒めてもらえたらそれはそれですごく嬉しいのだけど
調子に乗ると、その言葉欲しさとか、注目を浴びたいとか
目的と手段が逆転してしまうことって、よくありますよねぇ。
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あくまで弾くことが目的。
感謝とか評価とか報酬とかって、あくまで後からついてくるものであって
弾きたいとか表現したい気持ちありきでいたいなぁと、わたしの場合は思うのですよ。
(だからいつまでも自称ピアニストなのかw)
たまにはコンクールも出たいけど
人からの承認や見返りが目的になってしまうと
いずれ自分の意志が置いてけぼりになって自己犠牲に走ったり
(最初は自分がやりたくてやっていたはずなのに)
「やらされている」感にもつながりかねませんからね。
なので、ほめてもうらうとか、誰かと競うとか
そういった承認欲求が満たされるではない場こそ
自分がやりたいからやっているという自主性を再認識できるのかなと。
自分の純粋な気持ちに気付く
「自己満足」って、ディスりでよく使われますが
周りからなんと思われようが、誰も賛同してくれなかろうが
自分はこうしたい、という自分独自の意志って
大事にした方がいいと思うのですよね。
当たり前のようでこれがけっこう難しくて
近くにいる人の意向とか、上司や偉い人の評価とか
一般的に無難な選択とか、こっちのほうが見返りがありそうとか
バイアスがかかってしまっていることが多いというか
日常の選択や決断って、ほとんどがそうじゃないでしょうか。
感度を上げるために
楽しい、幸せな気持ちになれる場に身を置く
たまにこうした、損得抜きに純粋に自分はどうしたいかを
ふるいにかける機会をうまく作れたら、
選択を誤ることも減るんじゃないかなと思ったりしますし
それが、「楽しい」とか「好き」に近いものに触れていると
より素直な自分を思い出しやすいような気がしています。
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頭で考えるより、行って見て感じたら、自然と気づくものですからね。
(なんかそういうCMあったよね)
そういうわたしも、忙殺されたり気持ちの余裕がなくなって
音楽の存在すら忘れかけてしまうこともあるのですが、
たまに重い腰を上げて音楽を楽しめる場所に出向いてみると
あぁ、やっぱり音楽っていいな、大事なことを思い出させてくれるなとか
自分もこういうことやってみたいな、という気持ちになれるのです。
(写真はこの前行ったジャズホール。
とってもラグジュアリーで幸せなひとときでした!)
自分がどう思っているのかとか
本当はどうしたいのか、何がいやなのかって
わかっているようで自分自身でもよくわからないものですよねぇ。
相手が好いていてくれているかはわからないけど、
それでも自分は好き、みたいなね。
例えがあれですが…クリスマスのせいにしておきましょ(^O^)
三角広場はクリスマスツリーも見どころ
最後に、クリスマス前の今
ストピの名所(?)新宿の三角広場には
高級な機械式時計ブランド「パテックフィリップ」の
巨大クリスマスツリーが飾ってありますよ(^^)/
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ピアノと反対側(新宿駅側)にあります。
(こっち側からピアノはあまりよく聴こえないかも)
吊るしてるやつが良い味出してます(そこは歯車の装飾じゃないんかい)。
天井が高いのでこういうこともできちゃうのですね!
三角広場のアクセスや、ピアノ設置場所については
こちら↓の記事もどうぞ。
スペースが広く天井が高いので、
音が遠くまで飛んでコンサート会場のような響きです!
激しい曲をのびのび弾けるのはもちろん、
クリスマスソングがキラキラと響いていい感じですよ~
カワグチもたまに出現しております(^O^)
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