ブランクを経て復帰したピアノ弾きが
固定観念を破りながらやりたいことと向き合う過程を共有します

【続:音楽家の永遠の悩み②】アマチュア演奏家が、仕事より音楽活動を優先する理由。

こんにちは。カワグチです!

前回は、音楽を続けるための
さまざまなお仕事との付き合い方と配分を書きました。

【音楽家の永遠の悩み】音楽をする人たちの働き方。~稼ぎと表現との折り合い~

自分のことを棚に上げて色々と書かせていただきましたが、
今回は、その続きとして
わたし自身の現在のお仕事の配分をご紹介させていただきます。

複業して生活しています

わたし自身のことをお話させていただくと、
今はフリーランスとアルバイトを掛け持ちし
8時間フルタイムではなく、時間単位でお仕事をいただきながら
ピアノを弾く時間を作っています。

ステージカーテンっぽくしたくてカーテン赤くした。
遮光性能がよすぎて朝日が入ってこないからすぐ元のに戻すかもしれない。涙

仕事に私生活を合わせるのではなく、
私生活に仕事を合わせる

元々わたしは医療従事者として働いていましたが、
ある時期にフルタイムでは働かないと決めてから脱サラし、
それ以来、アルバイトを転々としながら生計を立てています。

ピアノを弾くためだけに時間を作っているというわけでもなく、
他にも理由はいくつかあるのですが
今はいわゆる「定職」がない状態です。

前回のお話では、「自己表現を貫きたいのであれば、音楽以外に稼ぎを持っておく必要がある」というお話をしましたが
自分の活動を最優先にするために、仕事に合わせるんじゃなくて
仕事「を」合わせられるように、時間の融通のきくアルバイトをしています。

どうせ大変なら、楽しい方を選びたい

こう言うと、色んな人から色んなことを言われるし
咎められたり心配されたり詮索されたりもよくします。

勝手に人の家計診断始める失礼な人もいるし、
あからさまな好奇の目で見られて、いやな気持になることもたびたびあります(-_-)
(ですから軽い興味本位で聞いてきた人には、あまりハッキリとは言わず濁しています)

大変なのは確かですし、実際にお金が足りない月もざらにあります。
わたし自身もハラハラします。

お金に困ってキャッシングしたり、日雇いのバイトでつないだり
時間を作るためにフリーターになったはずが、逆に引きが悪くて1日中仕事に振り回されたり
バイトを掛け持ちで詰め込みすぎて倒れたこともありました。

常識に押し潰されそうになる日々

いい年してフリーターの自分がみじめに思えて、
落ち込んだことも何度もありました。

時代は変わっただとか、個人の時代が来たといいますが、それはごくごく一部の人。
実際はわたしの周りでも、フルタイムの定職に就いて働いている人が9割以上です。

大半の人は固定の定職をその人の肩書きとして見て安心するし、
それがない人は怪しいとか、ちゃんとしてない人、定職に就けずかわいそうな人だとか、
なにか問題がある人という先入観を持って見られます。
ちゃんとしてない問題児な自覚はあるけどね

社会的信用もないし、金銭的な割は少なくて大変だし、
ピアノの活動を頑張っていても結局は「で、仕事は何してるの?」と聞かれる。

面倒だし、大変だし、いやな思いも腐るほどするし
この生活は、他の人には絶対に安易におすすめしません。

自分が働くのに他人の倫理観は不要

だけど、大変なのはどんな仕事をしていても一緒で
(むしろ残業みっちりフルタイムのほうが色々大変じゃないか)
どのみち大変なら、好きなことができるほうが楽しいはず。

未来設計を踏まえたうえで、自分がそうしたくて納得してやっていることなので
何としてでも正社員にならなきゃとも、不幸だともわたしは思っていません。

実際、今までなんとか生きてこれていますし、
自分のための人生であって、働くのも自分自身ですからね。

仕事に自分の時間を
譲り続ける人生にしたくなかった

そう思ったきっかけは、フルタイムで働いていた頃。

当時、ちょっと良いジャズのコンサートに行ってみようと
思い切って1万円くらいのチケットを取ったのですが
後日、会議が入って行けなくなってしまいました。
(平社員の自分は居ても発言権もないのですが)

まぁこれはよくある話ですが、
こうやってあっさりと、限られた自分の若い時間を仕事に売り渡し
やりたいことを仕事に譲らなきゃいけない日がこれからも続くことを思うと
なんだか虚しくなったのです。

かと言って、
今この大切な自分の時間を、好きなことを我慢して仕事に捧げても
なにか対価や見返りがあるわけではない。

当時は出世したくて個を一切抑圧してがむしゃらに働いて勉強していましたが
それでも、出世が見込めるのは10年先だと悟ったときに、
先のわからない10年後のために、10年間も時間を投資するのは無駄だと思ってしまったのでした。

「余った時間」でできることは知れている

元々の医療従事者のお仕事は、一般的なお仕事よりも残業も少なくて
見た目のごとくホワイトなお仕事でしたが、
それでも、フルタイム勤務をした後で残る時間と体力でできることって、限りがあると感じたのです。

お金と引き換えにマイナススタートを余儀なくされる

もちろん、体力があったり、計画性があったり
(アフター5の活動のために余力を残して仕事をするとか)
仕事後の時間をうまく使えるスーパーマンもいると思います。

だけど、わたしはそんなに体力も気力もないし、帰ったら家事もするし
仕事で体力精神力を消耗した後、「余った時間」で
満足のいくパフォーマンスが出せるとは思えない。

無理するスタイルは持続可能じゃない

そしてそれって、発表会に出るとか単発で終わるものならまだしも
長期的に続けることを考えると、ちょっとしんどいなと。

本業が音楽や人脈構築に関連することであれば別ですが、
お金をもらうためだけに8時間別のことで疲弊して、肝心のパフォーマンスを下げるって
目的と手段が逆転してしまっているような気がするのです。

片手間でマネタイズは幻想

お金が貯まってから脱サラすればいいじゃん、というのは正論のように聞こえますが
働いた時間に単純比例して報酬が発生する副業とは違って、
趣味活動、特に芸術のような「なくても困らないもの」に対価をいただくのは簡単なことではありません。

仕事のないスキマ時間だけを使って、
片手間で人からお金をいただける程度までやるというのは
ごく普通の人にとってはあまり現実的ではないのですよ。
(元々コネがあるとか、家事を別の人がしてくれているとかなら別ですが)

「その仕事の人」というセルフイメージが錘になる

それから、これは自分の精神論ですが、
仕事を中心にスケジュールを組んで、1日、1週間のほとんどを一つの職場で過ごすと
その仕事をしている自分」が全てになってしまいがちなんですよね。

さらに、人は職業や会社名という、わかりやすいラベルをつけてカテゴライズしたがります。
たとえば医療従事者をしているのであれば「医療従事者のカワグチ」みたいな。

医療に限った話ではありませんが、特に専門職は資格の印象が強すぎて
現場を離れてプライベートの場ですらミドルネームのように資格で呼ばれることも多く、
「ピアノが趣味の医療従事者」と、本業のイメージに負けてしまうことが多々あり、悔しかったのですよね。

この人は○○業界の人、○○社の人で
ピアノはおまけ、みたいな。

時間的な意味だけじゃなくて、
自分自身の認識、つまりセルフイメージや他人からの認識が
その仕事以外の行動に対して見えない檻を作ってしまいがちです。

ゼロベースより重たくなる

仕事に対する行き過ぎた責任感なのかもしれませんが
ひとたび「その仕事をしている自分」というセルフイメージが定着してしまうと
そこを脱して他のことをするのって、
何物でもない自分が動くよりも一回り重たい何かがあるんですよね。

お金がないより、
ピアノがない生活のほうが虚しかった

アルバイトは保険や福利厚生面でもフルタイムの正社員より劣ります。
金銭的には、明らかに割が悪く、損します。

ですが、フルタイムで隙間なく働いた末、
「あの時ピアノやっておけばよかった。本当は弾きたかった」と後悔するほうが、
よっぽど人生の無駄遣いだと思うし、実際前述したようにそうだった時期もあったので
わたしはこの働き方を諦めずに挑戦しています。

ということで、今は
フルタイムでは選ばなかったであろう、音楽や商売により近いお仕事をしながら
自分が自分であることを大切にしながら働いています。

※現在は生活を顧みて環境が変わってしまいました

どちらが良い悪いではなく
納得できる生き方を

一応念押ししますがフルタイムで働いている方を否定するわけではなく、
あくまで自分自身の生き方として満足できなかった、というお話です。

繰り返しますが、人にはおすすめしません。
綱渡りで危険ですから。

スキマ時間の趣味ではなく
音楽を主軸にするメリット

堂々と音楽活動していますと言える

それから、収入を多少得られるくらいになって
趣味ではなく、(副業であっても)「仕事」と言えるレベルまで稼げると
人に堂々と言えるかどうかが問題になってきます。

恥ずかしいとかもそうなんですが、
それとは別で、未だに日本の会社では趣味は推奨するくせして
休日に他の活動をしているということをあまり良く思わない会社も多いのが事実。

休みの日何してるのとか聞くくせして
メディアに露出しているとか、本気で取り組んでいるとわかるとドン引きしたり、バカにされたり
本業に影響しないのかとか、ほどほどにしてねとか、やたらと心配されたりね。

こういう社会の縛りが、趣味活動やそれをやっていることを公言することに
後ろめたさを感じさせる原因になったりします。

音楽ベースで
スケジュールを組める

「音楽活動ありきの副業」と最初から名乗ってしまい
たとえ割安でも理解のある(あるいはプライベートに一切興味を示さないw)仕事先を選び
音楽活動を中心にスケジュールを組むことには、時間とか物理的制約の他に
周りからの見る目を気にしなくて済むようになるのもメリットです。

一言で言うと、コソコソしなくていいというか。
逆に、受け入れられない人や会社には最初から拒否してもらえますしね。

「音楽やってる人」として認知してもらえる

さらに、「音楽をやっている人」として最初から認知してくれるので
自ら宣伝せずとも会話のネタとして興味を持ってくれたり
「あの人は音楽やってる人なんだよ」と知らず知らずのうちに他己紹介してもらえたりします。

たとえば、音楽できる人を探しいている人とつないでもらえたりする機会があったり
自分一人では手の届かないところまでチャンスの網を拡げることができます。

あくまで狙ってというよりは、
薄く期待するくらいがちょうどいいですけれどね。

心の安全基地があるからこそ
安心して自由に表現できる

まぁ、そんな具体的なチャンスはそうそうあるものではないですが
なにより、「音楽をやっている人」というアイデンティティが一つのコミュニティで確立できるので
自分の個性を抑圧して仕事しているのとは比べ物にならない充足感を持つことができます。

書いていて気が付いたけど
何気に、これが一番大きいかもしれないなぁ。

精神論ではありますが、
どこか一ヶ所ででも「音楽家の自分」を受け入れてもらえる心の安全基地があると
リスクのある思い切った行動が取れたり、委縮しないのびのびとした表現が音に反映されたりと
その自信は必ずパフォーマンスに現れます。

平日日中が自由に使える

会社勤めの方のほとんどは土日休み。
つまり、平日夜間や土日はスタジオも混んでいて
予約が取りにくかったり、料金も割高だったりすることもあります。

まぁみんなで仲良く音楽を楽しみたい人にとっては良いのでしょうが
他のお客さんでにぎわっていると、話し声や音漏れなどで自分の音楽に集中しにくいですよね。

些細なことですが
繰り返し練習するのであれば、この差は必ずパフォーマンスに響きます。

バンド活動であれば別でしょうが
ピアノソロなら一人で演奏と向き合う時間は絶対必要だし
いつもみんなと同じことをやっているだけでは
「この人の音楽が聴きたい」とご指名をいただくこととは永遠に無縁でしょう。

ある程度の融通が必要

とはいっても、逆に
「本番」は週末や夜間に行われることがほとんど。

つまり、土日だけでは伸びないし、
平日だけだと、肝心の発揮する場が設けられない。

となると、必然的にシフト希望制とか、出来高制とか、
融通の利くお仕事が良いということになるんですよねぇ。

結論:人がやらないことをやることが
最短距離

人が無理だということ、危ないと心配すること、
前例のないことをやらないと、唯一無二の存在には到底なれないし
安全安心の保証された、安定したことだけをしていては
その上にいるだけの誰かの都合に従うだけの、代わりの利く便利屋さんになるだけ。

これは真面目に働いている人や、誰かを批判しているのではなくて、
自分が過去に夢を見ないふりして後悔したからこその挑戦なんです。

お仕事の話やライフプランの話になると、説明が一筋縄にはいかずつい長くなってしまいましたが
こんな生き方をしています、という紹介でした。

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