ブランクを経て復帰したピアノ弾きが
固定観念を破りながらやりたいことと向き合う過程を共有します

マンボウから遡る小学生の記憶と創造性
(ただの雑談)

こんにちは、
ピアノ演奏家のカワグチです!

またまん防が出てしまいましたねぇ…

まん防といえば、小学生のころ
マンボウちゃんを題材にして
マンガを書いていたのですよ。

(おそらく、マンボウのモデルは
マザーグースの森のキャラクターだと思われる)

大人になってから、地元の同級生たちと同窓会をしたら
「ともちゃん(私)といえば、マンボウだよね!」
「ああ、そうだ!マンボウちゃんのマンガ!!」
と、みんな憶えてくれていて、恥ずかしくなりましたが(笑)

教科書、ノート、白い自由帳を欠かさずカバンに入れて
休み時間に、クラスメイトたちがボール遊びに出かける傍ら
椅子に根っこをはって、白いノートに嬉々としてコマ割りの線を引く
協調性ゼロの内気なマンガオタクだったのでした。

内向的な人にとってのエンタメ

それでも、マンガを描いているわたしの周りに
見に来てくれたり、話しかけに来てくれる子が自然といて
(ぼっちで気の毒そうという情けかもしれませんが笑)
それが、自ら話しかけるのが苦手な自分にとっては
すごくありがたいことでした。

もしかすると、スポーツはあまりやりたくない子が他にもいて
そういう、わいわいしたアクティビティが好きでないとか、あぶれてしまった子が
そっと立ち寄れる(手持ち無沙汰を潰せる?)居場所というか
ちょっとしたエンタメ的にも機能していたのかもなと思うと
それはそれで嬉しいものです。

夢を叶えた設定のマンガ

当時はアイドルというか、芸能人に憧れていたので

「アイドルは人格者であるべき」世間の呪縛と、正しさと芸術の矛盾を考える。

理想を叶えたと仮定して
芸能界入りした自分とその仲間が題材の
ペットなのか家族なのかマネージャーなのかよくわからない立ち位置で
マンボウちゃんがいつも傍にいる設定のコメディで
そんな駄マンガを、友達や先生に読んでもらっていたのでした。
(今思うと、そんな自作自演マンガを読んでくれたこと自体が有難すぎる…m(_ _)m)

今思うと絵も全然うまくないし、
構成とかストーリーとか特に何も考えず
描きたいことをそのまま書いていたので
どんなストーリーを描いていたかは、よく思い出せません。
(そのうえ、アイドルになりたかったくせに
発表会の舞台で一人で歌うことはできなかったという)

おそらく、忙しくライブや芸能活動をしているという
オチのない、ほのぼの話だったような気がします。

自然と「毎日更新」ができていた

よくそれで毎日飽きず、ネタ切れにもならず
1冊描ききったら、また新しいノートを買ってきて
絵が下手だと委縮することもなく、描き続けられたものだなぁと
不思議に思うものです。

継続って
努力でするものではないのかも

ブログやコンテンツ配信ですら、
毎日更新って結構大変で、すごいことですからね。
(このブログも、好きで書いているとはいえ
大体週1という、のろのろアバウトスタイルですし)

努力して描こうと努めていたわけでは全くなかったのだけど
むしろ、それがよかったのかもしれません。

絵も全然うまくないし、ストーリー性もないのに
なぜか一度もけなされたりバカにされたことがなかったので、
創造性を阻まずに、楽しみにして読んでくれた
心の広い友達や先生がいてくれたおかげでしかないなと。ほんと。

子供の無限大なユーモアの価値

と、今思うと
子供ながらに相当痛い設定の妄想マンガを描いていたわけですが
「夢を叶えた日常を想像して描写する」って、
巷で「予祝」と言われる自己暗示でもあるわけで
それをナチュラルにやってのけているって、子供はある意味最強ですよね。

未練がましく再開したピアノと違って、
好きなだけ描いて満足したのもあるのか、
絵がうまくないことも誰に言われずとも自覚したのでw
もうマンガに対する情熱や執着心はまったくありませんし
絵を描きたいとも思いませんが(むしろ苦手なのでイラストのお仕事は断っている)
子供のユーモアって最強だなぁ、と。

大人になって
自由な発想は難しい

「やりたいようにやっていいよ」
「何も考えずに表現してごらん」

大人になってから、これをやるって
相当難しいなぁと感じます。

周りからの評価や印象、
売れ行きや人気などの数字的なメリット、
そんな打算ばかりが無意識的に気になって、
なかなかやろうと思ってもできないもの。
(そして、自由にと言っておきながら
いざやりたいようにやってみたら批判やダメ出しされる、という状況もありますしね笑)

というか、「無限の想像力」自体が
なかなか湧いてこないのですよねぇ。
誰に見せるでもない自分用の紙にすら、描けない。

今ではあんなに大好きだった白い紙を前にしても
何か描きたい欲は湧くのだけど
うまく描けないからとか、何書こうとか
頭(左脳)で考えてしまって、描けないものです。切ない。

創造性と教育のトレードオフ

子供のユーモアって
「子供だから」と一蹴されてしまうことがほとんどですが
もっと社会にうまく活かされる場所があればいいのになぁなんて思います。
(わたしのマンガは置いておいてwもっと普遍的な意味でね)

育む過程で失われる個性

そんな子供の純粋な創造性が
画一的な教育や不毛な比較競争を経て大人になるにつれて
社会に出て役に立つかどうか定かでもない、知識と常識の詰め込みで
削がれて消えてしまってゆくのって、勿体ないことだよぁって。

特に、一度没個性や委縮を体感してしまうと
その傷から創造性を回復させるのって、そう簡単なことではない気がしていますし
今の時代、そこから逃るのってほぼ不可避なんじゃないでしょうかね。。

そんな、(芸術性だけとは限りませんが)
その時しか発揮できない、個性の宝物を抑圧してまで行う
教育の価値や意味って、なんなんだろうなぁと。

マンボウで一記事分語ってしまったw

…と、何書こうかなぁと思って
マンボウのことを思い出したら
気が付いたら2000文字も書いてしまっていました/(^o^)\

モデルはこの子

とりとめのない昔話で終わってしまいましたが
今でもマンボウ愛は変わらず(でもまん防は終わってほしい)
って結論で無理やり締めくくっておきます!笑

雑談にお付き合いいただき、ありがとうございます(^^)/

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