クラシックピアノを再開し、真剣に練習するようになって、約3年。
自分がピアノ弾きであることを人に知ってもらいたい!と
恐る恐る自分の活動や演奏をネットに公開したり、
ピアノ弾きを名乗って外に出ていくようになって約1年。
それ以来、日常が劇的に変わったか、というと…
ほとんど変わっていません/(^o^)\
行動が同じでも、見える世界が変わった
だけど、毎日の行動パターン・生活の9割がそれまでと同じなはずなのですが
同じ場所から見える世界や、体感温度はがらりと変わりました。
弾く気持ちがポッキリ折れることもたまにあるけれど
総じて、よかったなと思うことや、潤いをもらっているほうが圧倒的に多いです。
人との接点が増えた
自分でひっそり練習に勤しむだけでなく、
ある程度目標を持って本気で取り組むと、
否が応でも人との接点が自ずと発生します。
練習のためには練習室を予約しなきゃいけないし、
良い練習環境を確保するために、スタジオを開拓しなきゃいけないし、
行き帰りで人とすれ違ったり、乗り物に乗ったり、寄り道したりもするし
自分だけのプライベートスタジオじゃない以上、他の利用者さんとの接触もあります。
が、これがよかった。
ピアノ弾きだと認知してもらえる嬉しさ
わたしは元々、人が苦手なコミュ障で、
人との接触を最小限にして生きていきたい人(ソーシャルディスタンスよりもパーソナルスペースが広い)なので
予約の電話一本入れるのも面倒だったり、
新しいスタジオに問い合わせするときは手に汗をにじませたりしますが
徐々に「カワグチさん=ピアノを弾きによく来る人」と、
スタジオの方に覚えていただけているのが嬉しく感じるようになりました。
ま、「いい歳して平日にフラフラしている職業不詳・むさくるしい巻き髪アニマル柄の人」
とでも思われていることでしょうw
(巻き髪アニマルって言いにくい)
性格が変わったわけではありませんし、未だに人は苦手ですが
それでも、そんな気持ちの良い出会いを繰り返すごとに
新しい場所を開拓することに心地よさを感じるようになってきましたし
他人に名乗ることで、相対的に「ピアニストにしてもらっている」ような感覚です。
同じ属性の人といる安心感
演奏会やスタジオでご一緒するピアニストさんはもちろん、
スタジオや楽器店などを運営されている方もまた
音楽好きだったり、ご自身が音楽をされておられる方も多く、
「同じカテゴリの人」というか、そんな親近感を感じます。
同じ音楽という趣味があると、共通の話題があるのもそうですし
行動範囲や感性が似ていたり、特に踏み込んだ会話をせずとも
職場が同じ会社の仲間や、地元の友人などにはない、ほっとする何かがありますよね。
音楽家って、見た目は派手だけど実は内気な人も多くて
そこにも仲間意識を感じて安心します(笑)
本気で生きると
本気の人と引き合う
自分が愚直に本気で生きてみることで
「行動している」ということ自体が一つの共通言語のような、
同じく本気で生きている人と関われるようになったと感じています。
当初はなんかもっと、
「そんなレベルででしゃばってるの?露出するならもっと練習してから出直してこい」
「あーその曲ね、自分も弾ける(からあなたは別にすごくない)」
「音大も出てないのに、中途半端なぽっと出が、クラシックピアノのイメージを汚してる」
みたいな風当たりを受けると思っていたので怖かったし
そういう「見えない批判者」に対して、こんな自分が露出して申し訳ないと萎縮していたんですよ。
(そういう自覚があったからこそ)
「正しいピアノ」を求められたらきりがないし、わたしはメンタルが強くないので
そういった石を投げられて傷つく機会を想定し自己防衛しているのも確かですが
それでも、行く先々で偶然に出会う人たちは、想像していたよりもずっと温かい方が多く
面と向かってダメ出しや否定をしてくる人は案外少ないことに、ほっとしています。
自己開示してはじめて
人の寛容さに触れることができた
自分が勇気を出して恥を忍んで自己開示することによって、
思いもよらぬ化学反応が起きる。
ピアノを封印して、集団生活や仕事で輪を乱さないように、
個性を出さないように、目立たないように生きてきたわたしにとって
「ピアノを弾きたい!」だとか、ありのままの自分を表現したいというのは
他人にとっては迷惑なこと、自己満足のわがままだとどこか後ろめたく思っていました。
そんな自分を受け入れて歓迎してくれる人や場所があったことだけで
ピアノとまた向き合ってみてよかったと感じています。
否定されると思っていた無謀な挑戦にはむしろ、
敬意を持っていただけたり、心を開いてくださる方が多かったことにも驚きましたし
演奏を聴いて下さって「今の曲、良かったです!!」みたいに話しかけてくださるのは本当に嬉しい瞬間です(^^)
見てもらえる、聴いてもらえることで
身が引き締まる
こんな自分を見守ってくださり、素直に応援してくださる方々がいて下さることに
嬉しいを通り越して恐縮するばかりで
むしろ、批判を受けるよりもずっと身が引き締まります。
だけど、だからといって堅苦しいクラシック演奏家になるのではなく
どこにも属さない「ピアノが好きな個人」というあり方は変わらず、
「ピアノを弾きたい」という気持ちを潰さないよう、のんびり楽しくやっていきたいなと思っています。
練習環境
肝心の練習環境はというと、
ちょうど1年前に録音機と電子ピアノを買いまして。
当初はグランドピアノやハイブリッドピアノを買えないため
妥協案として買った電子ピアノですが、
思った以上に使いどころが多くて活躍してくれています。
電子ピアノ、サブ使いには向いている
メインはスタジオのグランドピアノをお借りして練習しつつ、
電子ピアノで部分練習や基礎練をして補う、という
借りる(グランドピアノ)+ 補う(電子ピアノ)スタイルで練習してきました。
電子ピアノは、メイン使いには向きませんが
部分練習や夜間ちょっと弾きたい時の「サブ」として使うのは
むしろとても役に立ちます。
スタジオは、寄れそうな近いところという利便性や、
録音したい、人に聴かれず集中したいなど、用途に応じて使い分けています。
家にピアノがなくてもなんとかなる
いざ弾く機会があればどうにかするしかないし、
弾こうと思えば、家にピアノがなかろうとどうにかできることもわかってきたし
週1練習でもなんとか新しい曲にチャレンジしています。
ですが、不手際で電子ピアノも壊しちゃったし、
コロナもいつまでも収束する気配がないし
どうしようかなぁ。
このあたりは、まだまだ物足りなさを感じているので
改善の様子などをまたブログに綴っていきますっ。
今考えていること
今はピアノを弾ける場所もそうですし
まだまだ収束しそうにないコロナ禍での音楽のあり方や
音楽を発信する者と聴き手の最適なコミュニケーションの落としどころを考えたりしています。
ただピアノが弾けるだけなら、他の人にもできる中で
わたしだからこそ伝えられるものって、なんだろう、と。
大切なものはすぐ近くにある
そうそう、自炊を始めたばかりで料理がうまく作れなかった大学生の頃
偶然スーパーで会った友人(男)が浅漬けの素をかごにいれるのを見て
料理ってどうやったらうまく作れるの~とぼやいたら
「特別なもの作ろうとしすぎなんじゃない?」と言われ、ハッとしたのがその後も教訓になっています。
(実はこの頃、チャーハンを試行錯誤しすぎて、めんつゆと醤油とみりんを入れてベタベタ飯になっていたw
塩コショウだけで作れると知ったときは拍子抜けしました/(^o^)\)
特別なことをしよう、大きなことをしようと力まなくても
意外とすぐ近くに大切なヒントが既にあるかもしれない。
そう思ってアンテナを張って暮らしています。
コロナも外出自粛も終わらないし、最近地震も多いし
先行きのわからない時代だからこそ、ただ未来に怯えるのではなくて
同じ時を過ごすのであればもっと、今あることやできることに目を向けながら
今この瞬間を楽しんでいけたら良いな。
そんなことを思いながら、今後もマイペースに活動してまいりますので
どうか見守ってやってください(^^)