ブランクを経て復帰したピアノ弾きが
固定観念を破りながらやりたいことと向き合う過程を共有します

身バレって怖い?
自己発信する時に意識していることと、知人にバレた時の対応方法を話してみる

こんにちは、ピアニストブロガーのカワグチです!

個人が誰でもアカウントを取って発信できるようになった時代。

特に、SNSは誰でもアカウントを気軽に作ることができるようになり、
画像の加工なんかも無料でできるようになったりして
本当にハードルが低くなりましたよね。

「実は副業で〇〇やってて」とか、
「SNSでお客さん集めてたことがある」
という話をけっこう頻繁に聞くようになって、
すごい時代だなぁ〜とビックリしています。

ネットでの個人発信。
「身バレ」って怖くない?

最近は身バレ防止のためか、
ニックネームで活動するのがもはや主流になりつつあるくらいですが
それでも、映り込む持ち物や話し方などで、
見る人が見たら「あの人かも」ってわかることもあるかもしれません。

また、他の人のブログや動画をたくさん見てきましたが
思わぬ知人から「ブログいつも見ているよ〜」と言われて気まずかった、
というエピソードをよく目にします。

たしかにね、趣味活動や発信しているコンテンツを見られたくない、
知られたら気まずい相手っていますよね。
家族や親戚、職場の人や取引先、クラスメイト、先生など…
あるいは、オタ活やアダルト系、普段とはギャップのある奇抜なジャンルなど
趣味そのものを知られたくないこともあるかもしれません。

また、身近な人ほど
あれこれ自分の身勝手な主観で遠慮なく意見や批判をしてきたり
「心配」という建前で足を引っ張ろうとするものでもあります。

自己表現が怖い人は傷付いている。芸術を妨げる、日常の「おかしい・外れている」という目線

ということで、今回の記事では
顔と名前を出して発信しているわたしが意識していることや
実際にリアルの知人に身バレ(?)した時の振る舞いをご紹介してみようと思います。

何かしら発信している方でも、そうでなくて見る専門の方でも
けっこう、この辺りのさじ加減ってどうしてるのか
気になる方って多いのではないでしょうか。

今回の記事はわりと有料級の本音です

そういうわたしも当初は
「みんなどうしてるの…?」ってすごく気になっていましてね。

でも、活動している起業家さんに聞いても、ネットで調べても
「そんなの気にしなくていい!」という答えしか返ってこなくて
全然参考にならなかったのですよ(´・_・`)笑
「気にしない」ができるなら、最初から聞いてないわ!ってね。

まぁ、結論から言うとそれも間違ってはいないのだけど
どういう考え方をもって、「気にしない」でいられるのかとか
実際どういう対応をしてる?というのが知りたいわけじゃないですか。
そのあたりを細かく書いているコンテンツって、当初なかなか見つけられなかったので、
今回は、知りたい方にとっては有料級の内容です!
(ので、あとで非公開にするかもしれません)

おそらく、ビジネスとか自己発信などやっておられない方でも
公私の分け方という意味では、
なにかしら参考になるのではないかなと思います(^^)/

見られたくない人には
どうせ見られる

わたしはというと、このブログには実名も顔も出していますが
見られたくない人にほど、どうせ見られている
ということを肝に銘じて日々書いています(^O^)

正直にいうと、やっぱりリアル知人に見られていたら恥ずかしいです。
自撮りやプライベートな雑談も載せていますしね。

あとは、急ぎのペースで曲を仕上げて、
そこそこのクオリティで動画をアップしていることも多いので
過去教えてくれたピアノの先生の顔に泥を塗ってしまうのではないか…という申し訳なさはあります。苦笑
(わたしが今、固定で先生をつけていないのは、そういう忖度を少なくするためでもあります)

でも、こういうのって、
どうせ見られたくない人にほど見られているものじゃないですか。
というか、噂をすれば本人が現れるように
隠そうとすればするほど、見られたくないもの、知られたくないことってバレるし
鬼の首を取ったように冷やかされるものですよね。

遠慮がちに書くのは、
見られたくない人のために書いているのと同じ

しかし。

だからと言って、リアルの知人に見られてもいいように…とか
そういう人に見られたくないとか、身バレしたくないがためにコソコソしていると
まるでその、見られたら困る人たちのために発信しているようで
それはそれでなんかイヤじゃないですか!

身内の、しかも批判したりバカにしてきそうな人の顔色を伺って届ける発信は
ビジネスじゃなくてプライベートのアカウントと同じですし
もっと言うと、一番見られたくない人に向けて手紙を書いているのと同じですからね…

知人には
隠しもしないし宣伝もしない

わたしの場合、そもそもピアノに関しては
弾いていること自体は、別に隠したいことではないですし、
むしろ聴いてもらえたら嬉しいので、ありがたいくらいかな。

ただ、知人のお情けや冷やかしではなく、
コンテンツを本当に気に入ってくださった方や、
発信に興味を持ってくださったり、共感してくださった方に見てほしい思いがあるので、
自分からはこういう発信をしていることは、知人にわざわざ言いませんし
音楽やブログに興味がありそうな人か、聞かれない限りは「見て見て〜」と宣伝もしません。

もしリアル知人にブログ・SNSを
「見ているよ」と言われたら?

それでも、知名度に比例して
実際に思わぬ人からブログやYoutubeを見られていたり、
「見ているよ」と声をかけられることもあるでしょう。

わたくし、今はデザイン関係のお仕事をしているのですが、
このサイトも自分で手作りしており、
求人応募する先や商談先にも、このサイトを制作実績の一つとして公開しています。
なので、過去にも職場の人に「カワグチさんってピアニストなの?」と聞かれたこともあります。
(厳密にはさ、履歴書とか応募書類にも守秘義務があるわけですよ。
それをさ、なんで他の平社員の人が当然のように知ってるの?って話なのですけれどね…)

恥ずかしいことをしていないなら
いじられても毅然としてよい

正確には「ピアニストなんでしょww」くらい小馬鹿にされるのですが(怒)
こちらはお遊びではなくて真剣にやっているので、そのいじりには乗らず、
毅然として「あぁ、はい。(そうだけどなにかあった?)」という感じで答えれば
(いじろうとしていた)相手は何も言ってこなくなります。

それだけで放り投げるのが冷たすぎるというのであれば、
人事から聞いたんですか?この会社のコンプライアンスってザルなんですね♪と言いたいのを抑えて
「よくご存知ですね。(興味持ってくれて)ありがとうございます^^」くらい言っておけば、
「見られちゃ恥ずかしい弱みを握った」という認識だった相手は黙ります。

自分の作品やコンテンツを
恥じたり蔑んだりしちゃいけない

ここでとても大事なのが、
謙虚にはなっても、恥ずかしいとか気まずそうにする必要はなし。

というか、不特定多数に届けたくてやっているのであれば
(実際に恥ずかしいと思っても)「バレて恥ずかしい!」という態度は出しちゃダメです。

というのも、たとえ荒削りでも、
そのコンテンツを(自己満足ではなく)人に届ける前提で真剣に作ってきたのであれば
それって「人に見られたらまずい、恥ずかしいもの」ではないじゃないですか。

「まだまだですが」みたいに謙虚になるのはいいと思うのですが、
クオリティの優劣や数字はさておき、一生懸命作ってきた自分の作品やコンテンツを
自ら、「恥ずかしいことをやっている」という位置付けにしてしまってはダメということです!

逆に、「なんで知ってるの?!どこから聞いたの!!」と、ムキになるのも
「知られたくないことを知られてしまった!!」みたいなメッセージを自ら発しているようなものなので、やめた方がよいでしょう。

茶化しに応えない態度で
真剣にやっていることを伝える

怒ったり、むすっとして冷たく突き放す必要はないのですが、
相手の茶化しに応えないことで、真剣にやっていることを態度でわかってもらう必要があります。
(怒ったり過剰に反応すると、逆にもっとバカにされるかもしれません)

例えば、「カワグチさんって日本人なんですね?」と聞かれたのと同じくらい
自分にとって当然のことを聞かれた素振りをしていれば大丈夫。
「そうですが、なにかありました?」という感じですね。

どんなにしょぼい発信でも、コンテンツが面白くなくても、演奏が下手でも
本人がいたって真面目にやってやっているとわかれば、ある程度の良心がある人であれば
それ以上いじることは悪口だと理解してやめてくれます。
(その代わりに陰口を言われていたとしても、
知らないところで言ってくれている分にはかまわんのです)

もしそれでもやめずにバカにしてくる人がいたら
「それって悪口?」って言っておけばいいでしょう。

意地を張るより
苦労話で同情してもらうのもよし

もしくは、角を立てたくない人間関係なら
「一生懸命弾いたのに低評価がついてショック受けてるの〜(T_T)」とか
「機材がかさばるから、いつも電車移動が肩身狭くて…」みたいに、
うまくいっていない側面を見せて、同情を誘ってみてもよいかもしれません。

人の足を引っ張りたがる人って、逆に不遇の人を励ますのは上手なことも多いですから
キラキラした自己顕示でやっているだけじゃなくて、うまくいかないこともあるんだな〜と
泥臭さや苦労を伝えたほうが、かえって応援してもらえたりすることもあります。
(応援してもらうことを強要するのはよろしくないですけれどね)

お客さんの顔色に左右されない演奏者の心得。~喜んでもらうのと、笑顔を強制させるのは違うよ!~

実績に対する謙遜と、活動をしていること自体を恥じるのは
似ているようで違いますからね。

逆に、真剣に、ある程度ちゃんとやっていることが伝わったら
「自分も昔ピアノやっていて」とか、「SNSやってみたことあるけど、自分は続かなかったからすごいよ」と
態度を変えて(?)興味を持ってくれたり、自己開示してくれる相手も中にはいます。
最初からそう言ってくれ

お客さんでもファンでもない人の
批判・ダメ出しは取り入れない

もしその場でコンテンツのダメ出しやいちゃもんをつけられたら
「たしかにそうですね。ご意見ありがとうございます」とか、「精進しますっ」的な感じでよいでしょう。
もしある程度仲がいい人なら
「アンチ1号認定しときますわw」くらい適当にあしらっておけばよしw

これはネットの誹謗中傷でも同じですが、
もし職場の上司になにか指摘されたとしても、
そのコンテンツに関しては上司の指示でやっている業務ではないし
その分野に関してはあなたの方が経験も知識も上手なはず。

熱心に見てくれるファンでもない、お金を出して買ってくれたでもない
「お客さんですらない人」の意見を取り入れる必要はありませんからね◎

ドリームキラーとは接点を作らない

もしそれでも執拗に足を引っ張ってくる人がいたら
住む場所を変えたり仕事を変えたりして、物理的に距離を置いて
もっと合う環境に身を置いてしまうのが一番早いです。
わたしもしょっちゅう環境を変えていますので参考にしておくれ。

合わない人や場所との向き合い方と辞め時とは。やめる・捨てる=悪いことじゃないよ!

そういうアンチも一定数いる、という
人間心理の実践練習になったと思えばよいでしょう。

恐れているほど批判されない

ちなみにわたしも誰かに何か言われるかもしれない、バカにされると恐怖して
身バレ対策や、まだ何もされていないのに取り越し苦労していたこともありました。

よく、ビジネス書とかに、
身近な人ほど足を引っ張るみたいなこと書いてあるじゃないですか。

しかし、実際わたしのことをこれまでよく知ってくれている人で
面と向かってなにか言ってこられたことは、意外なほど少なくて
むしろ、楽しみにしてくださったり、歓迎してくださる方のほうが多いくらいでした。
(新しく知り合った人ほど、冒頭に書いたように茶化す人は多かったですが)

少し前に、しばらく放置していたプライベートのアカウントに
間違えて動画を投稿してしまいましたが、
意外と「いいね」をくれた人が多くいて、ちょっとビックリしたことがありましたよ。

陰口を言われているかは知らないけど、
カワグチの耳に入らなければ別によいのですw
少なくとも、わたしの目の前では肯定的な言葉をかけてくれる、その優しさに感謝しています。
本音本心までは、わざわざ追求しません。

なので、疑って申し訳ないくらいなのですが、どうなんでしょうね。
批判されないのも、それはそれで尖っていなすぎると、逆に心配したほうがいいのかな。笑

もし興味を持ってくれたなら
感謝するのみ

もし本当に興味を持ってくれて話しかけてくれたなら、素直に嬉しいですよね。

ただ、そういう場合は、逆に
「自分もブログやりたいんだけど、どうやってやるの??!」みたいな
突っ込んだ質問攻めをされることもあるかもしれません。

その場合、もしそれが、あなたにとって
時間やお金を過去たくさん投資してきて、価値があるものと感じられるものであれば
その価値を守るという意味でも、立ち話ではあまり話しすぎないほうがよいかもしれません。
お相手も、本気で知りたいと思っているのではなく
社交辞令的に会話を拡げようとしてくれているだけかもしれませんしね。

まとめ:届けたい人は
知られたくない人の先にしかいない

という感じで、
今、わたしの演奏やブログをこっそり見にきてくださっている
リアルの知人がいても、特に驚きませんし
それはそれで身内であろうとなかろうと、
関心を持ってくれて、時間を割いて見に来てくださったことには感謝しています。

身内や知人は
発信の0.2歩目にすぎない

活動や発信コンテンツを不特定の知らない人に届けたいのであれば、
「知られたくない身内の人たち」は超えていく必要があります。
逆に言うと、そこを超えられないのであれば
友達どうし、身内だけのプライベートアカウントと変わりません。

というのも、やや極論ではありますが、
届けたい人は、知られたくない身内よりも、必ず向こう側にいるからです。

なので、知人への身バレは第0.2関門くらい、超えることが大前提というか。
身内の人を気にしている状態というのは、例えるならば
ディズニーランドに行きたいけど、向かいの家の犬が怖いとか
靴ずれするのが心配で玄関でなかなか靴を履くことができず、
そもそも家から出られていない、みたいな状態。

わたしもそんな「玄関とどまり状態」が長くて、
どうしたらそこを超えられるのか悩んだので、すごくわかりますが
隣の家の犬や玄関の靴に気を取られて、行きたい目的地が見えなくなっていても
その瞬間にも、ディズニーランドで楽しく遊んでいる人はいるわけで
(ちなみに例えにしているだけで、別にディズニーファンというわけではない)
そういう人に先を越されているというか、そこでできる体験を失っているわけで
そう考えるとすごく勿体無いですよね。

目的地が定まれば
目の前の障壁は霞む

これは発信に限ったことではありませんが、
目的地が定まって、やらなきゃいけないことがハッキリしてきたり
そこでどうしてもやりたい!という情熱が持てると
その目的地に意識のピントが合って重要度が高くなるので、
その手前のごちゃごちゃ、つまり
目先の身バレやら軽口は相対的に霞んで、視界に入らなくなってきます。
(身内や身近な人の存在が大事でなくなる、というわけではない)

身内の小言だとか噂話のネタにされているかもとか
そんな小さすぎるものにいちいちかまっていられなくて動じなくなる、というのはそういうことで
その結果あっての「気にしない」なんだなと、今ならわかります。
(でも、「気にするな」だけじゃわかんないよ!ってね)

毎日忙しく出かける人が、玄関で
どちらの足から靴を履くかわざわざ悩まないのと同じような感じでしょうか。

ないがしろにしているのとは全然違うのですが、
よく言われる、親しかった身近な人が距離を感じて離れていく、というのも
もしかするとそういう、「視界」がズレてゆくことなのかもしれません。

そう考えると、アンチ1号くらいの距離感で
かわいい小言を言い合いながら、たまに頭を悩ませながらほどよく付き合えるのも、
まぁ悪くはないのかもしれませんね。笑

身近な人とのエピソードは
記事でご紹介しています

ちなみに、わたしのピアノ活動のきっかけになってくれたり、
過去、力を貸してくださった方とのストーリーに関しては
恩返しの意味も込めて「鍵盤めぐる交差点」シリーズとして
記事にして(プライバシーに支障のない範囲で)エピソードをご紹介させていただいています(^^)/

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