ブランクを経て復帰したピアノ弾きが
固定観念を破りながらやりたいことと向き合う過程を共有します

合わない人や場所との向き合い方と辞め時とは。
やめる・捨てる=悪いことじゃないよ!

こんにちは、カワグチです!

5月病とよばれる季節がやってきましたね。
わたしは5月6月は夏の訪れで大好きな季節ですが、
これを読んでくださっているみなさまは、心の調子を崩されていませんでしょうか?

合わない人や環境に遭遇したらどうしたらいい?

つい最近、引っ越したカワグチですが

「音」で疲弊していました…音楽家・アーティスト・表現する人に欠かせない住環境とは。

行動していると、どうしても

  • 合わない人
  • 選んだ環境や教材が失敗だった
  • やってみて無理だ、勝てないと思う分野

に遭遇することって、けっこうあります。

または、今まではよかったのに
苦手な人が新人で入ってきたとか異動してきたとか
会社の方針がガラッと変わってしまったとか
それまでの環境が望まないほうに変わってしまうこともありますよね。

居心地のよさは続かない

わたしは怠け者なので、
一旦居心地のいいところを見つけるとそこに何年も居座りますが
同じ環境でも、人や体制、取り巻く情勢が変わったりして
ぬるま湯がずっと続くことって残念ながらないのですよねぇ(´・_・`)

変えられないものからは離れよう

このブログをずっと読んでくださっている方はお気付きと思いますが
カワグチはちょいちょい仕事や環境を変えています。

また、自分でコンテンツ発信をしていきたいと思って
色んなセミナーやワークショップ、コミュニティに参加したり、教材を買ったりしてきましたが
やってみて「違うかも」ということや、合わないなと思ってやめたことも、たくさんあります。

新しいものに飛びつくとか、ミーハーなほうではないのだけどなぁ。
だけど、今手元に残っていることのほうがむしろ少ないくらい。

自分が努力したり歩み寄ってみたうえで、それでも変わる気配がないものや
自分が感じる不快が軽減されないのであれば、
もう、それ以上は早くその場から離れるに越したことはない、と思っている派です。

人はそう簡単に変わらない

なぜなら、
人の本質って変わらないと思っているから。

まだなにもわからない、教育が必要な子供ならいざ知らず
人ってそんなに簡単に、あり方や信念、行動習慣を変えられるものじゃありませんからね。

変わるとしたら、よっぽど必要に迫られた時や
強烈に反省した時(フラれる、勘当されるなどでしょうか)くらいなもので
それもあくまで自分自身が変わりたいと強く思ったら、という前提。
少なくとも、他人の都合で「変わってほしい」と望んだタイミングで変わることはないというのが持論です。

それを「やだなぁ」とずっと感じ続けるくらいなら、捨てて選び直す。
安定至上主義の人がまだまだ多いこの社会では、
去った側が、悪者や不適合者扱いされてしまいがちではありますが
そのために自分の面や経歴に泥をかぶることは、もう慣れました(^O^)

努力してダメなら自分が去る

だから、分かり合えない人と無理にわかろうとするのではなく
どちらが正しいとか間違っているとか戦うのでもなく
どちらかが折れるとか屈するのでもなく
それぞれが良いと思う場所で、別々に生きればいいよね、ということです◎

また、逆説的ですが
「変わらないなら自分が離れる」を決断した結果
相手が変わってくれた、という話もよく聞きますよね。

断捨離期間はいずれ訪れる

合わないことを我慢してやっていたり
達成したいことがあって、迷走したりやみくもに動きまくっていると
それに比例して「断捨離期間」が訪れます。

わたしの場合は、こんなことがしょっちゅうあるので
もはや定期的にやってくる、年末の大掃除のような恒例断捨離イベントと捉えていますw

イヤなものに正直になると
それより良いものが入ってくる

しかもこっそり補足すると
リスクを覚悟で、歩み寄る努力をしたうえで
他人より自分の「合わない」「もうこれ以上無理」を優先して棄てると
その代わりに良いことや良い出会いがあったりするものです。

チャンスは絶望の後にあった

婚活をやめて、お姐様方にハブられていたパートをやめたら
ピアノのコンクール出場がトントン拍子に叶ったことや

きっかけは不純。どん底暗黒期に夢を見せてくれた場所はアルバイトでした

(このアルバイト↑も、その後コロナ禍で出勤できなくなってしまい
さすがに生活できなくなってしまい、上京することにはなりましたが)

東京に来てからも何度も仕事を辞めて、自分の社会不適合ぶりに絶望したけれど
今なんとか安定して働けていたり

適合できる場所がないならもう、好きなことをするしかない。社会不適合という絶望と希望

さらに、会社員を辞める際、
もうこの先会わないだろうからと、半ばやけくそで
「もっとこういう風に生きていきたいので、当分会社員はしません」と、去る会社の方に伝えたら
思いがけずその意向に共感してくれて、仲良くなれたこともありました。

つまり、なんとかなるし
思っているよりも展開は明るいかもしれないよ、ということです(^O^)

不遇で繋がれた絆は強い

楽しいところやハイな時に人が集まってくるのは当然ですが
不遇の時やマイナスで繋がれた人のほうが、より価値観を尊重できて強固な関係になりやすい気もしていて。

怒ったらどうなるとか、窮地に立たされた時の立ち回りとか、
カワグチはけっこう、そういうネガティブな価値観や欠点を共感できるか、許せるかの方が
人を見る際に大事にしていたりします。

まとめ:
「捨てる」「やめる」は行動の副産物。
マイナスな選択にも自信を持とう

オカルトとかスピリチュアルは好きじゃないですが、
イヤなものを捨てたらプラスの風が吹き込んでくる、というのは
自分の経験則的に毎回そうなのと(自己啓発コーチやったら儲かるかなぁ(^O^)笑)
いやなものが反面教師になって、それよりもマシなもの、良いものを選べるようになるでしょうからね。

しいて言うならば、やめたり捨てて良いことがあったとしたら
それは運とか神様の采配とか、そういうモヤっとしたものや、外側から運ばれてきたものではなくて
行動した結果であり、自分の選択の賜物だと思うのです。

何かが欲しいなら何かを手放す必要がある

イヤだけど、安定の保証が欲しいから…と
割を食うことばかり恐れて保身に徹し
自分の意志を無視してしがみつき続けていたら、
新しい環境やチャンスは手に入らないわけですからね。

婚活のために服や交通費、会う時間をかけ続けていたら
コンクールに出るお金や練習時間は取れなかったと思うと
結果よかったのかなぁと思ったり。

だから、やめるとか捨てるとか離れるとかは
挫折とか不適合者みたいな、必ずしもネガティブな意味づけをする必要はなくて
行動したからこその副産物でしかないわけです◎

だからと言って、良いこと欲しさに身近な環境を捨てていたら
それはただの恩知らずなので、バチが当たってしまうのでご注意を/(^o^)\

環境が変わっても生きられる強さと柔軟性を

とは言え、環境を変えるにはリスクが伴いますから
環境を変えることを余儀なくされても大丈夫な柔軟性とか
一言で言うと、どこでも生きられるタフさと通用しやすい力をつけることが
変わりやすい現代社会を生き抜く術なのかもしれませんね!

嫌いな虫を克服できるか…

ちなみにわたしは新居の外廊下に虫がよくいるので
殺虫剤を大量装備して、毎回玄関先で格闘していますよっ!

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これも環境を変えて生き抜く術…泣

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