こんにちは!
ピアノ演奏家のカワグチです。
ピアノ演奏に限らずですが、わたしがとても苦手なことがあります。
それは、他のライバルや同じ分野で秀でている先人をリサーチするということ。
たしかに勉強にはなるんだけど、
落ち込んで絶望に打ちのめされるのでほんと、嫌なんですよね…
プロの演奏家さんや好きなピアニストの演奏はたくさん聴きますが
他のピアニストさんの動画って正直できれば観たくないし
YouTubeも極力管理画面以外は開かないようにしています。
わたしだけかと思いきや、意外と多いですよね。
TwitterやInstagramでフォロー数1人しかいないインフルエンサーさんとか。
理由は同じではないと思いますが
この、「人を見ないで自分に集中する」という考えが好きだし
特に繊細な人にとっては、自分を護りながら伸ばすためにも有効なものだと思うのです。
好きだからこそ、
太刀打ちできない無価値観のダメージは大きい
自分よりも圧倒的にすごい人、この人には到底敵わないなという人を見ると
自分なんかが活動しているのが恥ずかしくなるし、
好きなのに誰の何にもなれていない自分の無力感と虚しさに直面して、やめてしまいたくなる。
こんなすごい人いるなら、自分要らないじゃん。
こんなへぼい自分なんかがやっててすいませんね!ってね…
好きなことを否定されるダメージは大きい
苦手なことで劣等感を感じるのととはまた違って、好きなことだからこそ
好きなことでまったく太刀打ちできないという事実は
生きている存在価値をまるごと否定されたようにも感じてしまう。
自分よりも影響力のある人ばかりチヤホヤされていて
存在を無視されたような置いてけぼり感を感じる。
これって、大げさな話でもなく、
きっと私だけじゃなくて、演奏家だけじゃなくて、
誰にでも経験があるんじゃないかなと思うんです。
活躍を良く思わない人もいるという事実から学ぶ謙虚さ
そういう自分も「そう思われる側」になったこともあり
執拗な嫌がらせを受けたこともありますが
気持ちのやり場がなくて嫌がらせの一つしたくなったり、
他人を攻撃したくなる人の気持ちも、今ならわからなくもないのです。
かと言ってそういう人に寄り添う気はないし、わたしは人に嫌がらせはしませんが
どちら側の立場も経験した身としては
必ずしも自分の活躍や露出を歓迎しない人も一定数いる、ということを肝に銘じています。
だからわたしは、自分が表に出ていくことが、
他の誰かの存在をかき消すことにならないように、
関わってくれた一人ひとりの持ち味を生かしながら
周りの人も勝たせながら繁栄していけたらいいな、と思っています。
すごい人と比べて
落ち込んでしまったときの処方箋
わたしはメンタルが弱いので
ひとたび無力感を感じてしまうと、立ち直るためには
それを超えるほどの励ましを自分にかけなきゃいけないわけですが
こういう思いをしたときにできることって
- 負けを認めて降りる
プレイヤーは諦めて、評論家やファンとして関わる - 別の分野で戦う
その人たちにはない自分の魅力は何かないか考える - 自分もやってみる
(やってみると表には見えない大変さがわかります) - 見るのをすっぱりやめる
場所を変える - 他のことをして気を紛らわす
そんなことなのかなと思ったりしていますっ。
チャンスは打算の外にあることも
意外と、「全然関係ない他のこと」をして気を紛らわすうちに
アイデアが湧くこともあったりします。
というか、チャンスってそういう思いがけない所から来るものですよね。
バイト先とか、飲み屋とか、全然違うことをしている時に
「ピアノ弾けるの?!」ってなることもありますしね。
すっぴんでお好み焼き食べているときに
ピアノ弾いてます、って話になって焦ったり…(わたしだけ)
プロの中に居すぎていないか
それから、自分が見ているものが「すごすぎる」可能性もあります。
これはある程度習熟したセミプロレベルの人や
門下生や協会など、上手な人たちのコミュニティに属している人に多いと思いますが
そこに居る人たちのレベルが高いがゆえ
どんどん自分に求める基準が厳しくなって苦しくなるということですね。
見てくれている人はもっと近くにいる
世界や日本で数えるほど有名人にはなれなくても、
身近なあの人は喜んでくれるかもしれない。
音楽をやっていない人や初心者さんからすると十分すごくて
あなたのやっていることを聞きたいとか、知りたい人はいるかもしれない。
前ばかり見ていて、
あなたの見えない後ろに人がいるかもしれない。
(↑背後から覗かれてる。ちょっとこわい)
だとすると、頂点と比べて自分の価値を見失って落ち込んでいるのって
とても勿体ないことですよね。
逆に、どんなに有名でも、たくさんファンがいても
目の前の人を喜ばせることを忘れちゃいけないな、と思ったりもします。
一番の解決方法は「見ない」
一番平穏なのは、見ないこと。
もちろん、競合や自分より一歩先を歩いているライバルが
どのようにしているのか、見て勉強する価値はあると思うのですが、
肝心のモチベーションが落ちたり、卑屈な気持ちになってやめてしまうくらいなら
見ないほうがベターだと思うのです。
見たくなくても
「見せられてしまう」仕組みもある
これって自分がネガティブだからとかいう以前、
最近のネットの仕組み(アルゴリズム)って
便利な反面、時にちょっとお節介で残酷ですよね。
見たいかどうかにかかわらず、履歴を参照して
おすすめの記事や投稿、動画をどんどんレコメンドしてくるっていう。
似た者同士で競争させ
たくさん観てもらうのがプラットフォームの目的
視聴者さんが悪いというよりは、「比べる」環境を整えているのは
陳列棚に商品を並べるかのごとく、投稿を並べて
「比べさせている」という、プラットフォーム側の仕掛けです。
一生懸命ネタを作ったり技術を磨いて、撮って編集した動画は、
視聴者さん側に「陳列」されて、
「あの人のほうがうまい」「この人が一番」と比べられることになる。
SNSやYouTubeにとっては、投稿は商品であって、
そうやって視聴者さん、読者さんに「寄り道」してもらい
たくさんのページを見てもらうことが収益になるわけですからね。
無料で宣伝してくれている効果もあるので全否定はしませんが、
別に、他のピアニストさんと張り合ったりするためにやってるわけじゃないのに、
自然と競わざるを得ない方向へと導かれているわけです。
競争したいときはコンクール出ますから…ってね。
しくみを知っているだけでもラクになる
ということで、レベルが足りないとかネガティブだとか、必ずしも自分が悪いわけではなく
見たくなくても見せられてしまうしくみがあることを知っているだけでも、ちょっと気持ちがラクになるものです!
アカウントを分けたり、ブロックしたりして
「視界に入れない」工夫をしないと、もはや不可抗力。
わたしも演奏動画をアップしていると
別のピアニストさんや同じ曲を弾いた動画がたくさんおすすめ欄に出てきますが
他人の演奏が観たいわけじゃないし、比べられているような感覚になって不快だし
観てもへこむだけだし、ミュートしまくっています(ごめんね)。
※YouTubeには特定のチャンネルや投稿をおすすめに表示させない機能があります
嫌がらせは解決にならない
自分のレベルまですごい人を引きずりおろそうとしても、誰のためにもならないし
もし仮に、あなたが嫌がらせをしたことで一人を引きずり下ろせたとしても
自分のレベルが上がるわけではない。
万が一、一人がドロップアウトして
あなたのポジションが一時的に相対的に1上がったとしても
次々と他のすごい人が出てくるだけで
あなたの居場所がそこから変わるわけではありません。
能力のある人への嫌がらせは
自分の居場所の質を下げる
もっと広い視点で見ると、
悔しいからといって、意図的に傷つけたり委縮させて
才能のある人が才能を出すことに罪悪感や恐怖を感じる世界を作ってしまうと
そんな場所に才能のある人は寄り付かなくなります。
才能ある人ほど不快な環境に敏感
例えるなら、最近日本から優秀な人がどんどん海外に流出しているように
会社員でも、優秀な社員から順に辞めてしまうように
居心地の悪さを感じた優秀な人は、そこから去って、別の世界に身を移すだけ。
あなたは目障りな存在が目の前から消えてほっとするかもしれませんが、
長い目で見た結果、あなたのいるその場所の治安や民度、技量のレベルはどんどん下がります。
そもそも戦う必要はない
そもそもそこで勝負する必要があるのか
他の人と戦う必要はあるのか、ということも自分に問い直してみるとよいかも。
お金を稼ぐこと、フォロワー数を伸ばすことだけが正解ではなくて。
本来の目的、音楽家としての本質を見失わないことです。
周りを蹴落として勝つのではなく
音楽家なら良い音楽を提供することが本質
つい勘違いしがちですが、芸術は勝負ではない。
誰かに勝つことでも、多数決で票を集めることでもないし、
そういう表面的な数字に傾倒して、もしそれを達成できたとして
その時、本質的な音楽はそこにあるでしょうか?
お金のためだけに仕方なくやっているなら別ですが、
音楽家に限らず、プロフェッショナルの本質って
自分の得意なことで誰かの役に立ったり、喜んでもらうことじゃないでしょうか。
あなたが本来何のために今の活動をしているのか
どういう時に嬉しいと思えたり、達成感を感じるのか
それをしっかり持っていれば、おのずとすべき行動・すべきじゃない行動は見えてくるはずです。
すごい人を追従しても
その人以上にはなれない
時々はトレンドをチェックする必要性はあったとしても
気になるからとあんまり頻繁に見ていては
自分のスキル向上が置き去りになってしまいます。
というのも、すごい人を追従したところでその人の真似にしかならないし、
本来の目的って、その人になることじゃなくて
自分は自分で、自分のレベルや魅力を高めることのはずですし。
他の人を見てネガティブな気持ちになるくらいなら
自分の音だけに集中して、練習にいそしんだほうが近道です。
それでも戦いたいなら
それでも「自分のほうが上なのに!!ギリギリっ(歯ぎしり)」
という感情が渦巻いているのならたった一つ。
自分もやってみる
ということをおすすめします。
嫉妬心は勝てそうな相手に対して感じるもの
嫉妬するときって
「この人になら勝てるかもしれない」という希望がある時なんですよね。
自分でやってみると別のすごさが見えてくる
ですが、いざやってみるとけっこう大変ですから
「勝てる」と思っていた相手がどんなに努力していたのかが
身をもってわかります…!
真正面から勝負してみて「敵わない」と感じたら
「勝てるかもしれない」という気持ちに折り合いが付き
自然とあきらめの心もつくものです。
わたしもいざやってみると、演奏そのものよりも演奏の自撮りがなかなかできなくて
そういう意味でもすごいなー、この人たち色々考えて工夫しているんだなぁと気付くようになったり
演奏以外の努力や、別のすごさが見えてきました。
まとめ:無力感や嫉妬心を感じてしまうなら
長々と書きましたが
他人に対して嫉妬心を感じてしまう時は
- 自分がなにを成し遂げたいのか考え直す
(無駄に他人を追従する必要があるのか) - アルゴリズムやアクセス集めのために
嫉妬心を煽られているかもしれないと知る - 悔しい=「自分にもできそう」
実際にやってみて感じてみる
もしかすると、アルゴリズムによって
いらない嫉妬を煽られているのかもしれないし
それでもその世界で生きていきたいなら
納得のいくまでやってみたらいいと思うんです。
自分の感情から逃げずに向き合おう
わたしが思う一番大切なことは
自分から湧き出た感情は、他人にぶつけず自分で処理する
ということ。
口下手ブロガーの表現論。発信者としての礼儀と表現させてもらっているという敬意。
見ないようにして他のことを楽しむとか、
自分もやってみるとか、できることもあるし
悔しい気持ちは何かに気付かせてくれるきっかけかもしれません。
じっくり自分の内面と向き合ってみて、
なにかに気づかせてくれるための感情だったとしたら、それは無駄なものではないし
誰かや自分を傷つけるための感情ではなく、そうやって良い方向に向けていけるといいですよね!
どこかで頑張っている芸術家さんの参考になればうれしいです。